GRAPEVINEを知る。
苦しくなるほど心を掴まれる音楽と出会った。
通称バイン。日本のロックバンドで結構有名らしいのだが、私は今の今まで全く名前すら聞いたことがなかった。
90年代の終わりから2000年代初頭にかけて人気があったバンドなのだが、世代が違うため耳にすることすらなかった。
私は毎日欠かさず音楽を聴く。
好きなジャンルは邦楽バンドで、一時期は毎月本屋でバックステージパスを立ち読みしていたくらい、バンドが好きだ。
なのに、GRAPEVINEを今の今まで知らなかった。
本当に知らなかった。
バンド好きになって8年程経つのに。
その事実に驚愕なのだが、では、どこで私はGRAPEVINEを知ったのか。
それはSpotify大先生からのプッシュであった。
2ヶ月ほど前、なぜか急にSpotifyが「あなたにおすすめ」とGRAPEVINEを勧めてくれたのである。
それから私は身支度の合間にBGMとして流していた。
そのときは、そんなに長く活動しているバンドだとは思わず、また、それほど有名ではない(失礼だが)と思っていた。
しかし、BGMとして聴き続ける中、ある日歌詞に意識が向いた。
バインの代表曲でもある『光について』の一節
何もかもすべて受け止められるなら 誰を見ていられた?
このワンフレーズが妙に引っかかったのだ。
今までは歌詞も聴いていたが、意味として聞こえたのはこれが最初だった。
内臓が引きちぎられるような苦しさを感じたのだ。
それから興味が沸きYouTubeでMVを見、これが99年の歌だと知り驚く。
知名度の高さに驚く。
他にも良い曲たくさんあると知り驚く。
その中でも『光について』は有名な曲なのだと知り驚く。
フロントマンの田中さんの昔と今が同一人物とは思えなくて驚く。
これほど有名で、私好みの人たちなのに、今まで名前すら聞かなかったことに驚く。
驚きの連続だった。
本当に、何故今まで出会えなかったのだろう?と思った。
私は音楽を聴くとき、歌詞に着耳して聴くことがよくあるのだが、その中でもGRAPEVINEは歌詞カードを見ながら聴き入ってしまうバンドだ。
歌詞の意味を意味として捉えながら聴くことはよくあるのだが、歌詞を見ながら何度も熟聴することはあまりない。
その点でも、珍しいバンドだなあと思う。
正直歌詞の意味は全然分からない。
だが、確かに心は刺されているのだ。
wikipediaに歌詞が文学的だ、という表現があったが、そうなのかもしれない。
太宰の世界はわかり得ないが、心に残るものはある、というような。
言葉選びが柔いのに棘がある。
『白日』は疾走感のある歌なのだが、この歌を聴いて「さよならに温度なんてあるのか・・・」などと思ったりした。
多分そういうことじゃないのだろうけど。
やはり歌詞の意味はサッパリピーマンなのだ。だが好きだ。
バインの音楽が私の心臓を締め付ける理由は歌詞だけではなく、曲調や歌声にもあると思う。
というか、メロディーが好きでなければ歌詞を好きになることはない気がする。
曲調あってこその歌詞だ。
すこし暗めなメロディーだったり、むちゃくちゃカッコイイ演奏だったりするのが、ツボにはまった。
それに乗っかるどことなく切なさを感じさせる歌声。
いろんな要素が相まってこれほどまで好きになったのだと思う。
私はこのバンドの歌を聴くたびに心が苦しくなる。
切なくなる。つらくなる。
その理由はわからない。
だが最近は、励ましてくれたり明るい気持ちにしてくれるバンドよりも、心を締め付けてくるような苦しくなるバンドの歌を聴いてしまいがちだ。クリープハイプもそう。
自ら感傷に浸りたくて聴いているわけではない。
ただ、頭から離れないだけなのだ。
本当は切なさをやめてしまいたい。
どうしてこのような事態が起こるのかは全くわからないが、ある意味成長なのかもしれない。
もっと早くバインのことを知っていたら!と思ったが、今にならないと聴けなかった音楽だからなのかもしれない。
今にならないとこれほどまでに刺さらなかった。
今にならないと苦しすぎて病んでいた(今が病んでないわけではないが)。
出会うべくして出会う、が本当だとすれば、「今は切なさを知りなさい」ということなのか。
こんなにも心の奥底に届く音楽に出会えたのは久しぶりだ。