自称コミュ障について考える
こんにちは。ウニコです。
最近大学でPCの授業を取りだしてからタイピングの練習を毎日するようになりました。
実は10年ほどブラインドタッチではないキーボードの打ち方をしていたせいで、変な癖がついてしまったのでそれを矯正することを目的としてやっています。
ですが評価はいつもE+、よくてDランクです。
毎日やってて意味があるのかな~と思いつつも、楽しくて毎日やっています。
ちなみに苦手キーはR、Tです。難しい。頭を使う。
さて、本日の本題はコミュ障について自分なりの見解を綴り、それっぽい結論にまとめていくという非常に曖昧な記事を書こうと思います。
皆さん、コミュ障というとどんな意味を思い浮かべますか?
皆さんの解釈と相違はないでしょうが、一応はてなキーワードを参照するとこんな感じですね。
もともとネットスラングなので真のコミュ障でない人も自虐として使いやすい言葉なのかもしれません。
しかし「自分コミュ障なんで」と言えるある種のコミュ強がコミュ障という言葉を使うことによってコミュ障という言葉が軽視されるという問題も起こっています。
真のコミュ障である私からすると自己紹介などで「自分コミュ障」という人は言うほどコミュ障ではない。軽い人見知り程度である。
実は私も高校時代「コミュ障ですがもごもご・・・」と言ったことがあるが、その当時は今からすると割と人と話せていた気がする。
確かに「自分コミュ障」を周りに知らせて、どうぞ話しかけてくださいね~というスタンスを取るのは非常に楽であるし、一種の逃げでもあると思う。
しかし、あるときから私はこの自分だけを守るガードはずるいのではないか、と思うようになり始めた。
思うようになり始めた、というよりは私と似たような、人と話すのが得意ではない友達が「ウニコちゃんは『自分コミュ障です』って言えてすごいよ!賢いね!」と私に言ってきたのだ。
そのとき初めて自分のずるさを自覚した。
それから自分からコミュ障やら人見知りやら会話力低いアピールをすることをやめた。
周りとの人間関係は何ら変わりない。
先ほど書いたコミュ障アピールをしてた頃の方が会話できてたというのは、全くのウソである。
実際コミュ障と明かさなくてもコミュ障はバレる。
だから言っても言わなくても変わりないのだ。
だったら自らコミュ障と言わずに頑張って人と話す姿勢を示せばいいのではないか。
その方が正攻法で戦ってて、ずるくないのではないか。
というか、どっちでもいいから、私に会話力を下さい。